こんにちは
東京江東区 暮らしの仕組みづくりサポーター
マスターライフオーガナイザー
メンタルオーガナイザー
風水インテリアアドバイザー
家計アドバイザー 下村志保美です。
毎週日曜日は私のことを書いています。
5年前の「耳下腺腫瘍」について。
前回までのことはこちらから↓
病は突然やってくる【耳下腺腫瘍】
大学病院初受診【耳下腺腫瘍】
検査結果は【耳下腺腫瘍】
悩めることはありがたいこと【耳下腺腫瘍】
※2011年のことです。現在私は元気です。
ウォーキング
私が通院していた病院は自宅から約10キロ。
まだ膝も悪くなかったので行きはウォーキングをかねて歩いていました。
約1時間40分くらいかな。
門仲から月島、築地、銀座・・・という経路は歩くだけでも楽しかったですよ。
スニーカー履いてテクテクテクテク。
帰りは電車の予定。
2011年3月11日
確かその日は午後3時半か4時の診察予約でした。
私は自宅をでて病院に向かって歩いていました。
午後2時46分、ちょうど門前仲町の交差点を渡っている時
「地震だ!!」と男性の叫び声。
信号を渡り終えて立ち止まると、確かにひどい揺れで怖くてしゃがみこみました。
すると背後にいた男性が「上から看板が落ちてくるかもしれないからちゃんと上を見て!」と。
顔をあげると交差点の信号がまるで旗のようにブンブン揺れています。
これは普通じゃないって思ったけど、揺れがおさまると、皆普通に歩き出します。
車も普通に往来。
後で考えるとあの時家に引き返せばよかったのですが、あまりにも周囲が「普通」なので私は先に進みました。
月島から築地、銀座へ
どんどん歩きます。当時はスマホを持ってなかったので何が起きたかわからず。
築地の公園を通りかかったら、若い男性がパソコンを広げていて、周囲に人だかり。
「東北で大きな地震があったらしい」とその時知りました。
銀座はタイル張りの歩道がかなり波状にうねっていました。
「なんだかただ事じゃない??」とは思ったので、直感で近くのコンビニに飛び込み携帯電話用のバッテリーを買いました。
最後の一つでした。
一方お買い物を楽しんでいたと思われるマダム達は
「電車が止まっているから、もうちょっとお茶していこう」なんてのんびりした話をしていました。
号外が配られていたようですが、地下鉄に乗れない人たちが銀座の路上にあふれていてその号外にも近づけない。
ようやく病院に到着
その日は大学の卒業式だったらしく、病院の裏手では振袖やスーツ、袴姿で正装した学生が胴上げをしたり、大声で歌を歌ったり賑やかでした。
院内は当たり前ですが・・・待合室はガラガラです。電車が動いていないのですから・・・。
しかし「手の空いている医師はすぐに救急にきてください」のアナウンスと救急車のサイレンの音がけたたましい。
待合室のテレビは私が座った場所からは小さくて何を放送しているかわからない。
「海の、波の画像?何?」とテレビに近寄ろうとしたら診察室に呼ばれました。
診察室での質問
今日の診察で手術をすることを伝えようと思っていましたが、最後に一つ医師に質問しました。
私より少し若いかな、と思われる男性医師でしたので
「もし、私が先生の奥様だったら、先生は手術しますか?」と聞きました。
前回の診察では手術の後遺症のことから私に手術をあまり勧めなかった医師ですが、
「絶対に手術させます。麻痺がのこっても命にはかえられません。」
この答えを聞き「じゃあ、手術をお願いします。」とその場で手術と入院の予約をしました。
東北の大変さや、他の重病の方のことを考えるとちっぽけなことですが、私の中では自分史上最大の決断でした。
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