さて4月、新入学・新学期です。
お子様のために新しく辞書を買った方も多いのではないでしょうか?
親の辞書を使わせたかったのに
「使えるものだから使ってほしい」
辞書なんて書いてある内容は一緒だし、親が使った辞書で十分なのでは?と思っていました。
娘が中学や高校に入学した時も「親の英和辞典、和英辞典」があるのだから使わせればいいのでは、と思いつつも、結局は学校でお勧めされれた辞書を新しく購入しました。
「自分だけボロボロの辞書はいや」
「友達と一緒がいい」
まあ、そりゃあそうだ。
結論から言うと
辞書は買い換えた方がいい
当たり前ですが私が学生時代だったころはインターネットなるものはなかったし、スマホだってなかった。
当時とは全く環境も違うし、語彙も解釈も違います。
親が「とても使いやすかったから」「いい辞書だったから」と思っても実際には「時代にあってない辞書」になります。
辞書は大切に使え
すでに40代になっている私の友人は、大人にこういわれて未だに学生時代の辞書を捨てられずにいるそうです。
とはいうものの、使ってない古語辞典とか・・・この先使うのでしょうか?
多分使わないだろうな・・・と思いながらも「辞書は大切に扱え」の呪文が、それを処分することに抵抗を感じるのかもしれません。
使いますか?
私も一応辞書は持っていましたが・・・・結局スマホやPCで調べることが多いから使わない。
仕事で英語を使うこともありましたが、紙の辞書より電子辞書、ネット検索なのです。
7年前、娘の中学受験の教材を捨てる時に一緒に処分しました。
以来一回も「捨てなかったらよかった」という経験はありません。
娘用に買った辞書は学校用で、夫や私の辞書は自宅用にすれば、通学のカバンが軽くなっていいのかも?とも思ったけど、娘も自分の使い慣れた辞書がいいから、やっぱり使わないのです。
もしかしたらお仕事上、紙の辞書を使ってらっしゃる方もいると思います。
うちの夫も出先では電子辞書を使うけど、自宅では紙の辞書が好きだから、と学生時代の辞書をまだ使っています。
使っているのであれば持っていることに価値がありますが、使っていないのであればどうしてそれを持っているのか、考えた方がいいかも。
本棚の景色の一部になっていて処分することすら思いつかない方もいらっしゃいます。
なにかと本は神聖化されがちです。
だけど生きている、毎日暮らしている自分は本や辞書よりも優先されていいはず。
使ってない辞書があれば古本買取店に持って行ってみてはいかがでしょうか?
もし一円も価値がつかないのであれば、それがその価値なのです。
さらにいうと「大切に扱う」ことは本棚の隅っこにホコリをかぶったまま置いておくことではありません。
気持ち悪い話ですが、紙には「紙ダニ」なるものも湧いてきますし衛生的ではありません。
もちろん「学生時代の思い出」として大切に置いておくのはあり。
持っている意味があります。
「なんで、それを持っているか」
辞書だけではなく「なんとなく」「処分してはいけないと思って」持っているもの、ありませんか?