パリピ?〜駐妻思い出し日記 その9

こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。

毎週日曜日はわたしのことを書いています。

2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。

駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
ないものばかり数えていた〜駐妻思い出し日記 その5
子供の教育はどうする?〜駐妻思い出し日記 その6
日本語と英語の世界〜駐妻思い出し日記 その7
駐妻ならでは〜駐妻思い出し日記 その8

中東ドーハで暮らした一番の面白み、というか大都市だったり日本人が多い都市だったりでは経験できなかったこと、それが「パーティ」。

しかも大使館で行われるパーティに30半ばの普通の会社員である夫と妻の私が招待してもらえるというのは日本人が少ないからこそ。

目次

大使館

日本大使館の中は治外法権。現地では御法度の豚肉も食べられますし、日本人コックさんの美味しい日本食も味わえます。
日本からもちんだ日本のビールや日本酒も楽しめる、オアシスのような場所。

政治家さんが来た時

日本から大臣級の政治家が来た時は、「レセプションパーティ」(日本語に訳すと公式の宴会)に招待されます。
これは政治家さんをもてなすのと同時に、日本の為に海外で働く駐在員やその家族を慰労する為の会だと思われます。

スポーツ選手

カタールはサッカーが盛んな国。
よくユースチームの試合が行われていました。

日本代表のユースチームもなんども来ていて、彼らの応援や労いの意味も込めてパーティも開催されました。

当時の写真を振り返るとまるでホストクラブ。

彼らの正装が黒いスーツだからね^^;

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そして娯楽の少ない国だったので、サッカーを始め日本のチームが来た時は練習の時から見学に行き、試合でも熱く燃えましたよ!

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私がいた当時多くても100人くらいしかいなかったと思われる日本人。
人数が少ない分団結して応援にしました。

そしてその試合が日本に中継され、当然少ない応援団も映るので「みたよーーー」って友人や親からメールが届きました。

いい思い出です。





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