こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。
毎週日曜日はわたしのことを書いています。
2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。
駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
ないものばかり数えていた〜駐妻思い出し日記 その5
子供の教育はどうする?〜駐妻思い出し日記 その6
先週娘は英検準1級に合格しました。
もちろん海外暮らしの経験がなくても努力次第で取得可能なことですが、娘にとっては当時のことがあったからこそ、だと思っています。
成績が悪い
保育園、幼稚園、小学校と成長していくにつれ、不安なことが多く出て来始めます。
まずは学校の成績の悪さ。
会話は全く問題がないのですが、英語の読み書きに問題が出始めました。
自宅で音読の練習・・・もあまりできません。(親のジャパニーズイングリッシュではね^^;)
文章が長く、複雑になってくると読むのも書くのも大変。
算数の問題も問題が読めなくて解けません。
ただ今思うと「いつか日本に帰るのだからまあいいか」という私の意識の甘さが大きな原因ですね。
(お友達に比べると体も小さいし、表情もおさないですね^^;)
学校の話ができない
帰宅した娘に「学校どうだった?」と何気なく聞くことが日課でした。
しかしいつの間にかその質問に答えようとしないのです。
友達のこと、勉強のこと、娘から話を聞きたいのに答えてくれません。
「いじめ?」と思い慌てて学校に行き先生と面談しましたが、特に問題もないようです。
放課後家を行き来する友人も何人もいましたし、そのお友達やお母さんに娘が学校でどのように過ごしているか聞きましたが
「楽しんでるよ!」とのこと。
(そもそも私自身が学校やママ友たちのコミュニケーションにも苦労してましたしね)
「世界が違う」
そんな時子供の教育に詳しい英国人の先生に相談する機会がありました。
答えは単純。
「学校は『英語』の世界、家庭は『日本語』の世界、だから日本語で英語の世界のことを話せないだけよ」的なこと。
ああ、そうなんですね、と納得できたわけではありませんでしたが、当時の私は納得するしかありませんでした。
楽しそうに通学する娘を見てきっと大丈夫に違いない、そう思う?願うしかなかったのです。
(実際多分問題はなかったはず)
そんなこんなで祈るような毎日のなか、「本帰国」の日が決まり、ほっとしました。
(現地の学校最後の日に。校門の前で)
当時の日本語の環境
娘は3歳から7歳まで中東カタール国で暮らしていましたが、当時の現地での日本語との関わり方はこんなかんじでした。
日本人幼稚園、日本人学校なし
テレビの日本語放送なし(帰国直前に少しだけ見れるようになりましたが非常に不安定な状態であまり見ませんでした)
日本から持参したビデオを見るだけ。
日本語の本は売っていない。Amazonの海外配送とかKindleなんてものはない時代。
「しまじろう」や「進研ゼミ」を会社の福利厚生制度を利用して月に一度取り寄せていました。
現地に住む日本人は70人程度。子供は一番少ない時で6人まで減りました。
娘が日本語を使うのは親子の会話のみ、そんな状態。
英語の世界でもだんだん問題が出てくるし、日本語も言葉が増えない・・・
どっちつかずの状態がだんだんはっきりと見えてきて、これは良くない、と私も薄々感じてはいましたが、ちゃんと向き合わないまま本帰国を迎えました。
不定期に続きます。
コメント