こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。
毎週日曜日はわたしのことを書いています。
2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。
駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
さて、暮らしが落ち着いてくると出てくるのが「不満」。当時の私は目の前の幸せではなく「ないもの」をたくさん数えていました。
家がいや
ドーハで暮らした5年間、私たち家族が暮らしていたのは「コンパウンド」と呼ばれる、戸建て住宅が100軒?200軒?くらい建っている塀で囲まれた居住区です。
もともとは欧米の企業の社宅用に作られたものですが、私たちのような日本企業の駐在員も住んでいました。
敷地内にはプールやテニスコート、ミニショップもあり、何と言ってもセキュリティ面では安心でした。
私の住んでいた家は先に行った夫が契約したもの、と言っても人気のあるコンパウンドなので間取りなどの選択肢はなく、そこに入れただけでもラッキーだったらしいです。
しかし間取りが・・・とっても使いづらかったのです。ホームパーティ(会社の接待含む)をするには狭いリビングダイニング。
一方で無意味に広いキッチン(多分12畳くらいあったとおもう)。(広すぎるキッチンは動線がよくないですよね)
また廊下や踊り場はだだっ広いのに部屋が狭いという・・・・「とりあえず線を引いて区切りました」的な間取りでした。
よく遊びに行かせてもらった日本人ご家族のおうちは、同じコンパウンド内にありながら広々したリビング、吹き抜け・・そちらがうらやましくてたまりませんでした。
今の家でも十分なのに、「うらやましい、あっちがいい。」「この間取りじゃ住みにくい」とわがままを言い・・結局私が暮らしたい間取りのおうちに空きが出たタイミングで引っ越しました。
ドーハに入ってちょうど1年目のことでした。
(結果的にはあのまま不満を持ちながら住み続けるよりは思い切って引っ越して良かったと思っています。)
砂漠でそり遊び(スノーボードの板に二人乗り)
テニスができない
同じコンパウンドに住む日本人同士で週末の夜にコンパウンド内のテニスコートでテニスを楽しむ会がありました。
久しぶりのテニス!楽しみたい!
しかし、うちには3歳の娘がいます。夜おいては出られません。
(当然テニスコートにも連れて行けません)
日本で暮らしていたらハナから参加を諦めていたでしょうが、ここでは同じように小さいお子さんを持つママさんたちは参加できている。
(もっと年上の兄弟がいたり、パパが面倒をみたり)。
どうして私だけできないの!
昼間娘が保育園に通うようになって少し自由を手にいれた私は「もっともっと!」欲張りになっていました。
アニマルスーク(スーク=市場):売り物のロバちゃんに乗せてもらってます。
比べていた
今思うと、当時住んでいた家の家賃は、とても自分たちで支払えるものではなく(会社負担)、広さだって十分。
なのに「人」と比べて「狭い」「使いにくい」と不満を並べていた。
テニスだって、他に小さいお子さんがいるママさんが参加していなければ、そんなもんだ、と思っていたはず。
なのに「ママ友?はできるのにわたしはできない」、とこれまた人と比べて一人勝手にブルーになっていました。
自分で不幸や不満を作り出していたんですね。
不定期に続きます。
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