こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。
毎週日曜日はわたしのことを書いています。
2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。
駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
生活していた横浜を引き払い、2000年7月にドーハで生活を始めました。10月に引っ越し荷物も届き、そして気温も少しずつ下がってきました。
暮らしにも慣れ、ようやくドーハでの暮らしが「日常」になりました。
娘は保育園に
一番早く現地の生活に慣れ、適応できたのは当時3歳だった娘。
なにしろそもそも日本語自体が話せない時期だったので、「英語が話せない」というハンデキャップがありません。
また一人っ子なので家にいるとちょっと退屈してしまうけど、保育園に行けばみんなと遊べる!
毎朝大喜びで保育園に通っていました。
保育園はイギリス系のところでした。通っていた子の国籍も様々。ヨーロッパ、インド、オーストラリア・・・。
保育園内では英語を使っていましたが、アラビア語を勉強する時間もありました。
(スクールピクニック:気候が過酷なので遠足はショッピングモール内の子供広場?(ボールや遊具があるところ)でした。お昼はみんなでマック)
朝が早い!
イスラムの朝は早い!4月から10月までは日中の気温が50度を超えるということもあり、会社や学校、幼稚園などは朝7時半から始まります。
夫のような日本の企業も現地の企業との兼ね合いものあるので7時半から始まり終業が3時半。
会社によっては午前中で一度仕事が終わり一度帰宅して、夕方4時くらいから再開するところもありました。
娘の保育園(その後通う幼稚園や小学校)も7時半から12時半まででした。
我が家は朝夫と娘が7時ころ家をでていました。(夫の帰宅は5時過ぎ、娘は13時頃ドライバーさんがつれて帰ってきてくれます。)
(会社のルールで原則運転禁止。会社が雇ってくれたドライバーさんが送迎してくれます)
日本に暮らしていればまだ娘は未就園児。カタールで暮らすことになって半年早く私は「一人の時間」を手に入れてウキウキでした。
駐妻は何をしていたか
さて7時過ぎに夫と子供が家を出てから私が何をしていたか・・・
バッチリと羽をのばしていました。
娘が生まれてから「一人ででかける」なんてほとんどなかったし、日本では経験できない「楽しいこと」を目一杯楽しもう!とはしゃいでいました。
まずは日本人の奥様方からお声掛けいただいたサークルのようなものに参加しました。
「ブリッジの会」
「テニスの会」
「エッグアートの会」
他にもあった気がしますが長く続いたのはこれくらいでしょうか。
特にブジッジ(コントラクトブジッジ・カードゲーム)は楽しくて「一生やる!」って思ったくらい。
さらに「ブリッジができると世界中どこへ行っても遊ぶ相手がいるよ。船旅に出ても退屈しないよ」なんて言われましたが・・・
帰国後はブリッジを楽しむ機会は一度もなく・・・すっかり忘れてしまいました。
(ブリッジの会:日本にいたら決してお付き合いのなかった方々とおしゃべりをしながらの楽しい会でした)
不定期に続きます。
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