「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)

こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。

毎週日曜日はわたしのことを書いています。

2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。

駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)

今日は5月に横浜の社宅を引き払った際に送った船便が届いた頃からの話を書きますね。

目次

5ヶ月!

5月に横浜の社宅を引き払った際に送った船便が届いたのは確か10月頃だったと思います。
半年近くかかりました。

そのころは気温も40度を切る日が出てきて、少しですが過ごしやすくなっていました。
(真夏は50度くらいです)

横浜で暮らしていた家は70平米の3LDKのマンション。
ドーハの家は同じ3LDKですが、200平米はありました。

だから引っ越し後も広く快適な暮らしができるはず!と思っていましたが・・・

荷物を増やす引っ越し

通常、引っ越しというと極力荷物を減らして、移動します。

が、今回のように行った先で何が買えるのか?どんなものがあるのか?子供に合うものはあるのか?
ほとんど現地の情報がない未知の国にいくわけですから「不安」が大きい。

幸か不幸か夫の会社の規定で船便の荷物はほぼ無制限で送ることができたので、たくさん買出しをし、荷物を増やして引っ越ししました。

2016年02月05日22時00分15秒

(ドーハ住み始めて2ヶ月が過ぎた頃。娘はすっかり幼稚園にも慣れて毎日楽しく通っていました。原則駐在員は運転禁止だったのでドライバーのフランシスさんが送り迎えしてくれていました。)

パンツ30枚

どんなものをもっていったかというと・・・
今思い出せるものはこんな感じ。

紙類

・3年分のトイレットペーパー
・3年分のティッシュ
・3年分の生理用品
・1年分のオムツ(当時夜のオムツが完璧ではなかったの)

食品

・缶詰(ツナ缶、ひじき、大豆の水煮、魚の缶詰など)
・乾物(ひじき、切り干し大根、わかめ、高野豆腐、のり)
・調味料(醤油、砂糖、塩、和風のパスタソースなど)
・幼児用の食品(生協のジュースおやつなど)

衣類

・家族のTシャツ、下着3年分
・娘の洋服、靴、2サイズ分

・・・と、まあ、はっきり覚えていませんが、相当買いました。

「紙類は日本製が一番」
「日本食材は売っていないから」
「綿は日本製のものに限る!」

なんて周囲からアドバイスをいただいた結果、かなりの量を買い込みました。

下着3年分って一体私、どれくらい買ったんだろう?
夫のパンツを30枚買ったことはよく覚えています。
さすがに夫も「現地の人だってパンツは履くだろうからパンツくらい売っているだろう」と苦笑していましたが・・・
「だって履き心地が悪いと嫌じゃない!」と「日本製」「使い慣れたもの」にこだわっていました。

2016年02月05日22時00分18秒

(ラクダレースの練習場)
ラクダレースはとてもお金持ちの遊びらしく、滞在期間中私たちは1度も見に行く機会はありませんでした。
(練習場は知り合いの伝でけんがくさせてもらいました。)

ストックに埋もれる

ドーハの家は日本の3倍以上広かった・・・だから一部屋ストック部屋としてダンボールを積み上げておけば「入る」「置ける」。
でもそれでは使いにくい。特に食品は小さし消費期限も気になります。
棚かなにかで整理したかったのですが、「3年程度」と期限の決まっている引っ越し、棚を買うなんてもったいないわ、荷物も増やしたくないし・・とケチりました。

結局屋上(メンテナンス時しか使わない)へ続く階段を棚代わりに並べたり、ダンボールでヘンテコな棚を作ったり・・・。

快適な生活にするために持ってきた「にほんのもの」は、今思うと私を悩ませるものでもあったのです。

でも当時はそのストックを大事に大事に抱え込んでいました。


不定期に続きます。




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