こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。
毎週日曜日はわたしのことを書いています。
2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。
(駐妻時代の家の前の庭 平和なところでした)
人生初の本格的な引っ越し
それまでの私の引っ越しの経験は
18歳で実家を離れたときは宅配便程度。
卒業後実家に戻るときは家具家電は、ほぼ丸々次に住む方に買い取ってもらったのでこれまた宅配便程度。
結婚で新居に移るときは、実家を出るだけ。(きれいに引き払う必要がなかった)
つまりこの海外転勤が初めての本格的な引っ越しでした。
横浜から中東への引っ越しです。
娘をチャイルドシートに乗せて
渡航準備としては、荷造りだけでなく、健康診断、予防接種もありました。
スケジュールをたてて、こなしていきます。
英会話も勉強しなくては・・。
住んでいた社宅にハーフの奥様がいらして、ご好意で、他にもいた駐妻準備中の奥様数人と英語を教えていただきました。
「オムツは英語でなんというの?」「子供がトイレに行きたくなったら?」など、学校の授業や仕事では絶対に使わなかった英語を学びました。
車を売却するのも初めての経験。娘をチャイルドシートに乗せて買取店を回りました。
娘がチャイルドシートで眠っているまま、業者さんに査定してもらったこともあります。
なんだか気の毒がられて、査定価格が思ったより高くなったような気がします。
ギリギリまで車があったほうが便利なので、引っ越しが終わった直後、車を買取店に持って行きその足で電車に乗れるよう、駅近のお店で買い取ってもらうことにしました。
そして引っ越し直前には大阪に住んでいる夫の母に来てもらい、ラストスパートで準備を仕上げていきました。
娘は一足先に大阪へ
しかしそうそう順調にはいかない。
引っ越しの日程も決まり、ガスや電気、水道、電話の手続き、役所の手続き、車の手続き・・・全て終わらせた頃、
私の健康診断結果が届き、要再検査となりました。
渡航延期です。
一度決めた日程をまたひっくり返すのはとても大変なので、引っ越しが終わって2ヶ月は大阪の夫の実家で過ごすことにしました。
娘は引っ越し前日に夫の母に大阪に連れて行ってもらいました。
引っ越し当日
引っ越しの日は何年かぶりの一人の朝でした。
数年間ずっと娘と一緒だったので、なんだか身軽で「引っ越しも楽勝」そんな気分でした。
引っ越し最中のことは覚えていませんが、
「きれいにミスなくちゃんと引き払わないといけない!」というプレッシャーがあって、そこがしんどかったような気がします。
また海外引っ越しということもあってたくさんの書類にサインをしました。
なんだか「責任!」がどっと自分にのしかかっていたような記憶があります。
一人じゃない
引っ越し業者さんが去ったあと、掃除を・・・したような気がするのですが、どこでその掃除道具を調達したのか・・・社宅の友人に借りたのか・・覚えていません。
鍵を管理人さんに渡し、車を買い取り業者さんに引き渡し、新幹線に乗りました。
時間が読めなかったので新幹線の指定は取っておらず、しかも乗車したのが新横浜からだったから座れませんでした。
お腹も空いたし喉もカラカラ。デッキに立って名古屋まで。
名古屋でようやく座ることができました。
夫の実家に着いたのは夜10時を過ぎていたと思います。
夫の両親があたたかく迎えてくれて、
「ああ、もう一人で頑張らなくていいんだ」と頼る人がいることに、ホッとしたことを覚えています。
(不定期に続きます。)
(ドーハで住んでいたところには居住者用のプールがありました。日中は暑すぎて誰もいなくてほぼ貸切。)
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