こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。
毎週日曜日はわたしのことを書いています。
2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。
駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
ないものばかり数えていた〜駐妻思い出し日記 その5
子供の教育はどうする?〜駐妻思い出し日記 その6
日本語と英語の世界〜駐妻思い出し日記 その7
駐妻ならでは〜駐妻思い出し日記 その8
パリピ?〜駐妻思い出し日記 その9
旅行〜駐妻思い出し日記 その10
さて私が住んでいた5年間、一番足を運んだ場所がゴルフクラブです。
日本にいるときは打ちっぱなしに行く程度だったゴルフ・・・ほぼ毎日のように通っていました。
砂漠の国のゴルフ場
私が通っていたゴルフ場はドーハ唯一のゴルフ場、「ドーハゴルフクラブ」
砂漠(土漠)の国なんだけど、美しい緑が維持されているなんとも贅沢な場所。
あの国でこれだけの緑があるってお金と手間をかけているということ。
真夏の50度の気候でも、ちょっとだけ心がほっとする景色です。
ほぼ毎日通っていた理由は
1. 家から近い(車で10分程度)
自宅から郊外方面に車で10分。渋滞もなくさっとアクセスできます。
また18ホールをスルーで回れるので、一人なら2時間程度で18ホール終わります。
日本だと(特に東京だと)、ゴルフ場に行くまでに2時間、スタートしても9ホール終わったら、お昼休憩がある。
18ホール終わっても、その後お風呂に入り、渋滞に巻き込まれながら帰る・・・
どうしても1日がかりになりますが、当時のドーハは空いていたので、スポーツクラブ感覚で通うことができました。
車で10分だから、ラウンドが終わったらそのままの格好で家に帰る。
着替えも何も入らなくて、身一つでいける気軽さがありました。
(コンペにも参加しました)
2. 会員になっていたから
夫は仕事で必要なので会員になっていましたので、私は家族会員に。
家族会員は確か年間18万くらいでした。
このクラブのすごいところは年会費を支払えば、当日支払うものは何もありません。
カート代も含まれています。
飲食とボール代のみ。(それも家から持って行くから、当日の出費はゼロ)
また会員数も少ない上、珍しい「日本人」すっかり顔なじみになり、
駐車場のゲートを通過したら、警備の人が連絡をしてくれて、ゴルフバッグを預けてある場所に行くと、すでにカートに自分のバッグがセットされている・・この楽チンさ。
そうそう、ゴルフ場が他にないから、バッグは預けっぱなしです(笑)
3. 他にすることがないから
この理由が一番大きいかもしれません。
外気温50度の厳しい気候だったので外で何かをするってことはほとんどなし。
小さい街なので娯楽施設といってもショッピングセンター程度。
日本人マダムたちと手芸やお料理、ブリッジの集まりに出かける、
誰かの家でお茶やランチをする・・・
もちろんそれも楽しいですが、一人で自分のペースで楽しめるものがあまりなかった。
ゴルフばかりしていた、と言われるけど、他にすることがなかった、とも言います(笑)
年間18万の会費!って高いように見えますが、スポーツクラブの会費程度ですし、
本や雑誌を買うこともない(売ってない)
お洋服も買わない(あんまり売ってない)
ランチもお店が限られている(飽きる)
美容院もあまり行かない(リスクが大きい)
他にお金を使うこともあんまりなかったのです。
(池のあるホールでは人懐っこいアヒルちゃんたちが寄ってきてくれて癒されます。たまに邪魔だけど(笑)
今は激混みらしい
わたしが住んでいた頃はなんとものんびりしたものでしたが、今はさらに開発が進み、人口が増え(外国人駐在員がふえた)、ゴルフクラブの会員になるにも順番待ちがあるようです。
予約もなかなか取れないと聞きました。
帰国後
さて帰国してからですが、ドーハ時代の友人が誘ってくれて一度だけ千葉のゴルフ場にいっただけ。
多分・・・わたしはゴルフが好きじゃなかった(笑)
そもそも努力をすることが苦手なので、練習とか、研究とかしないから、うまくならない。
道具のお手入れも面倒。
そしてなにより、に本には、東京には他に楽しいことがいっぱい!
ゴルフ三昧の毎日は一見優雅に見えるかもしれないけど、いろんな選択肢がある生活は、もっと楽しい、とわたしは思います。
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