駐妻ならでは〜駐妻思い出し日記 その8

毎週日曜日はわたしのことを書いています。

ハワイ旅行記のため中断していた駐妻思い出し日記を再開します。

2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。

駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
ないものばかり数えていた〜駐妻思い出し日記 その5
子供の教育はどうする?〜駐妻思い出し日記 その6
日本語と英語の世界〜駐妻思い出し日記 その7

今日は日本にいたら味わえなかったこと、を書きますね。

お手伝いさん・運転手さん

「駐妻」といっても夫が赴任する国によって暮らしは全く違います。
例えばロンドンやニューヨークなどの大都市に赴任するのと、アジア圏に赴任するのとは全く違う。

国によっては現地でお手伝いさんを雇うことが義務になっているところもあるようですね。

私が暮らした中東は義務ではありませんでしたが、比較的安価にお願いできたのでパートタイムでお願いしていました。

ハウスボーイさん

お掃除をしてくれる人に週一度来てもらっていました。200㎡の家を4時間くらいかけてお掃除してくれます。
スリランカから清掃会社に出稼ぎに来ていた男性で、普段はショッピングモールのお掃除をしているひと。
その仕事の隙間時間にきてくれました。
4時間で1500円から2000円くらいお支払いしました。

週に一度ピカピカにしてくれるから5年間私はほぼ掃除をしなくてすみました。

メイドさん

フィリピン女性に週に2回、2、3時間ずつ来てもらいました。
簡単なお掃除と、アイロンがけをお願いしていました。どちらかというと、夜間の外出時にベビーシッターをしてもらいたかったので、娘と仲良くなってもらうために来てもらっていました。
清潔不潔が混ざってしまう(例えば布巾で床をふいたり、雑巾で食器をふいたり・・・)メイドさんもいるようですが、彼女はそこはしっかりしてくれていたで安心でした。
ただ非常に気まぐれで、約束をすっぽかすことも多かったです。(これは本当に困る)

時給300円くらいでした・・。

(当時住んでいた家の写真を探すのですが本当にない!こちらはファミリーリビング。日本人同士のホームパーティのときの写真です。写真奥が玄関、写真左側にダイニングとお客様用のリビングがあります。)

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ドライバーさん

夫の会社から夫や私は現地で運転しないように、と言われていましたので、会社がドライバー付きレンタカーを滞在期間契約してくれていました。
車がないと生きていけない場所だったので、「運転手」と言いながらも娘の幼稚園・学校の送迎や、お買い物を頼むことも多かったし、ベビーシッターの手配ができないときはベビーシッターもお願いしていました。

やはりインドから出稼ぎにきている方でした。
ドーハにはインドからきている人がたくさんいたので、インド語?で業者やお店の人との交渉もかなり助かりました。

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(いつも大きな体にちょこんと娘をのっけていました(笑))

日本でのドライバー兼メイド兼ハウスボーイは

そんな5年の駐妻生活を経て、日本に帰国したら

夫や娘を送迎し、掃除もアイロンがけは私の仕事。
5年間いかに楽をさせてもらっていたかがよくわかります^^;

もちろん他人が家の中に入ってこない気楽さはあるし、当たり前の生活に戻っただけのこと。

ただし!!

ドライバーさんに甘やかされまくった娘は、「駅まで歩きたくない」「電車はいや、車がいい」と、電車移動が必須の東京生活に馴染むのに時間がかかりました。
(学校の建物を出たところから車までの数十メートルも「抱っこ」移動でしたものね)




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