家族で過ごす時間〜駐妻思い出し日記 その12

こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。

毎週日曜日はわたしのことを書いています。

2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、中東カタール国ドーハで駐妻していました。
当時ことを振り返っています。

駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)
引っ越し手続き諸々〜駐妻思い出し日記 その2(2000年5月〜7月)
「日本のもの」が大切すぎた〜駐妻思い出し日記 その3(2000年10月〜)
当時の生活〜駐妻思い出し日記 その4(2000年12月〜)
ないものばかり数えていた〜駐妻思い出し日記 その5
子供の教育はどうする?〜駐妻思い出し日記 その6
日本語と英語の世界〜駐妻思い出し日記 その7
駐妻ならでは〜駐妻思い出し日記 その8
パリピ?〜駐妻思い出し日記 その9
旅行〜駐妻思い出し日記 その10
ゴルフ〜駐妻思い出し日記 その11

今思い返してみると中東で過ごした5年間は「家族」の時間をたくさんもらった5年間でした。

24時間戦えますか?

そんなCMがありました。夫が入社する前後に流行ったあのCM。
夫は入社時からずっーーとそんな言葉が似合う?そんな仕事っぷりでした。

残業当たり前、突然の出張当たり前、休日出勤当たり前

もちろん働く場があることはありがたいし、毎月ちゃんとお給料をいただけるのですから、文句は言えません。

当時社宅に住んでいたからママ友のご主人も同じ会社。
うちだけが特別ではない・・・それはわかるものの、まだ娘が小さかったので、

「もう少し家族で過ごす時間がとれればなぁ」

いつも思っていました。

通勤時間

東京時代(社宅は横浜)は通勤にドアドアで1時間半かかっていました。
ドーハは車で5分。

往復で2時間50分、時間が増えます。

勤務時間・授業時間

中東では勤務時間も日本とは大きく異なります。
現地の企業やお店は午前中営業し、午後数時間休み、そして夕方からまた営業再開という形でした。

夫は日本企業なので少し変則的で、朝7時半から午後3時半までが就業時間でした。

現地の幼稚園や小学校も低学年くらいまでは、朝7時半から始まり、12時半くらいに終わっていましたね。

夕食を家族で食べる

東京時代は夕食を家族3人で食べることは週に1度あればいい生活でした。
ドーハでは夫が出張以外は毎日夕食を食べます。
また会社が近かったので、たまに昼ごはんも帰宅することがありました。

当たり前のことですが、慣れるまで食事の用意が大変でした。

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(休暇が確保されているので旅行も行きやすかった。スペインにて)

お誕生会

娘が通っていた幼稚園や小学校ではどこか会場を借りてのお誕生会をする子が多く、
我が家も滞在中は何度か企画しました。

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これはバーガーキングでのお誕生会。
平日の午後のパーティに夫がいるという・・・
日本にいたら考えにくい光景です。

家族で過ごす時間

東京にいた頃、娘と夫が接するのは多分1週間に数時間。
それがドーハではありあまるほど一緒に過ごすことができました。

平日もパパと遊ぶ時間があり、夕食を3人で食べるって、
夫が東京にいた時には考えられない。
(帰国後はまたその生活に戻りましたけどね^^;)

当時はまだインターネットも十分ではなく、日本の食材もなく、日本のテレビもない。
かなり過酷な気候・・・言葉の問題、

正直しんどく辛いこともたくさんありましたが、娘が3歳から7歳という時期にあの国で過ごせたことに心から感謝しています。

今になって思うと、神様から私たち家族への大きな贈り物ですね。





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