駐妻思い出し日記 その1(2000年7月〜)

こんにちは
東京江東区暮らしの仕組みづくりサポーターライフオーガナイザー下村志保美です。

毎週日曜日はわたしのことを書いています。

2000年7月から2005年1月までサラリーマンの夫の転勤に伴い、わたしはいわゆる「駐妻生活」していました。
当時のわたしは社宅住まいで、娘のママ友も社宅の人ばかり=夫は皆同じ会社。同世代がどんどん駐在に出て行く時期だったので、辞令が出た時も「ああ、そうか」くらいでした。

驚いたのは行き先

会社から戻った夫に「カタールに転勤が決まった」と言われても、「どこ?」って感じ。
私たち世代くらいまでならサッカーの「ドーハの悲劇」と言われれば

「あのドーハね」とは思うけど、思い浮かぶ映像はサッカースタジアムだけ。

そして「中東」と聞くと
「怖い!危険!」とまず思いました。

当時娘は2歳。そんな小さな子を連れて行って大丈夫なの?

暑い!!

結局、とてもリッチな国で治安もとてもいいから、子供を連れて行っても問題ないということで、一緒に行くことになりました。

夫は4月に先に赴任。
わたしと娘は7月の終わりにドーハに入りました。

真夏のドーハは気温50度超え。さらに湿度が99%・・・。
エアコンの効いた建物から外に出るとメガネが曇ります。

よくよく聞くと、あまりにも気候が過酷なので7月8月は、みな帰省したりバカンスに出たりして国に残る人は少ない。
街も閑散としていました。

そんな時期にドーハ入りしました。

夫の会社が入っていたビルです。コーニッシュと呼ばれる海岸沿いにあり素敵な場所でした。

2016年01月23日19時05分19秒

ない できない ばかり

暮らし始めた当初は日本のように「その部屋を使う時だけエアコンを入れる」使い方でした。
朝起きたらキッチンとリビングのエアコンを入れ、寝るときは寝室のエアコンを入れ・・・。
外気温は50度。当然家の中も暑い。
もう家の中を移動することもしんどくてたまりませんでした。
家の中ですら自由にうごけない。

外出するにも車がないと動けない。
会社がドライバーさんをつけてくれましたが、買い物に行くにもお店を知らないから「〇〇に連れて行って」ということもできない。
食料品を買うスーパーくらいしか指示出来ません。
気温50度、娘とフラッと近所を散歩することすらできない。
閉じ込められた気分でした。

荷物がない。
最低限必要な物は手荷物と航空便で送っていましたが、ほとんどの荷物は船便でまだまだ届きません。
当時日本から中東まで3ヶ月から6ヶ月かかりました。
大人だけならなんとでもなるけれど、3歳になったばかりの娘のおもちゃも、ビデオもない。
日本のテレビ番組もない。
外にもいけない。母娘二人で1日どうやって過ごそうか・・・朝起きると憂鬱でたまりませんでした。

後悔したのは

最初の3日間は夫が仕事に行くと泣いてました。

「どうしてついてきちゃったんだろう」
「どうしてわたしだけドーハ?(アメリカやヨーロッパや東南アジアなら楽しかったかも)」

そして最後に行き着くのは

「なんで夫と結婚しちゃったんだろう」と^^;

そこまでさかのぼって後悔です。

2016年01月23日19時01分50秒

少しずつ楽に

数日後、日本に帰省している方が多い中、残っていらした他の会社の奥様方にいろいろお話を聞くことができました。
(夫の会社は夫しかこの国に駐在員がいませんでした)

「家のエアコンは24時間どの部屋もつけっぱなしで生活するのが当たり前」と聞いて早速実行。
家の中では暑さを感じないで暮らせるようになりました。

日本人のお子さんが通う保育園を紹介してもらい、すぐ娘を通わせることにしました。
幸い娘も、母と二人で過ごす毎日に退屈していたので喜んで通ってくれました。
これで「1日何して過ごそうか」が解消。

お買い物に一緒に連れて行っていただき、ドライバーさんにお店をおぼえてもらいました。

こうやって一つ一つクリアすることで、毎日から「しんどい」が減っていきました。



今思い出しても、最初の3日間は本当に辛かった。
でも、「明けない夜はない」経験の一つとなりました。





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